言うまでもなく、馬のことはすっかり忘れ去られていた。トムとベイカー嬢が、それぞれ薄暮の中を書斎に向かってふらふらと歩き出した。まるで寝ずの番をしている誰かに確認しに行くみたいだった。僕は耳が聞こえなくなった振りをしつつ、和やかな雰囲気をなるべく漂わせて、眼前のポーチに続くベランダに行ったデイジーの後を追った。そして深い薄暗がりの中で、籐の椅子に隣り合って腰を下ろした。
デイジーはそのかわいらしい顔の輪郭を確かめるように手で頬を包み込み、天鵞絨のような夕闇の空へと視線を動かした。僕はデイジーがきっとひどく心を乱しているだろうと思って、心を落ち着けそうな無難な話題(彼女たちの娘の話など)をひねり出そうとした。
「ねえニック、私たちはお互いのことをあまり知らないわね」デイジーが突然言った。「いとこ同士なのに。結婚式にも来てくれなかった」
「まだ戦争から戻れなかったからね」
「そうだったわね」彼女はためらいがちに続けた。「ねえ、私、いろいろとひどい目にあったのよ。だからかなり、ひねくれてしまったの」
正直に言って、彼女にはそうなる素養はあった。僕は続きを待ったが、もう彼女は何も言わなかった。続きがなさそうなので、僕はとりあえず彼女の娘の話をしてみた。
「あの子は…よくしゃべるほうだと思うわ。食べるし…なんでもやるわ」
「そうかい」彼女は僕をうつろな目で見つめていた。「ニック、聞いて。あの子が生まれたとき、私がなんて言ったと思う?ねえ、聞きたい?」
「とてもね」
「まだはっきりと思い出せるわ。何もかもね。ねえ、あの子は生まれてまだ一時間も経っていなくて、トムはいなかった。誰もどこにいるのか知らなかった。私が麻酔から醒めたとき、完璧な捨て子みたいな気分だった。そしてすぐに看護婦に男の子か女の子か聞いたの。そしたら女の子だって教えてくれた。私は頭を振って泣いてしまった。『いいの、女の子でいいの。この子が賢くならないように祈ってるわ。女に生まれたら馬鹿な美人になるのが一番だもの』」
「ねえ、これでわかったでしょう」彼女は確信的に言った。「みんなそう思っているのよ。一番上等な人間でもね。私にだってわかる。私だっていろんなところでいろんなものを見ていろんなことをしてきたのよ」彼女の瞳は挑むように光っていた。傲慢なトムの目にも似ていた。そしてヒステリックに笑った。「こういうことを洗練されたって言うのかしら!」
彼女の声が止んだ瞬間、僕はふっと気持ちが緩み、自分を取り戻した。彼女の言葉は彼女のやっていることとあまりにもかけ離れていた。それは今日のディナーがまるごと僕の感情をひっぱりり出すための罠なんじゃないかと思うような、そんな不安な気持ちにさせた。そして僕は彼女が僕を一通り眺めるのを待った。そのかわいらしい口元に不思議な笑みを浮かべて僕を見つめる視線は、まるで僕が彼女とトムが所属している差別的な秘密結社の一員にふさわしいかどうか確認しているかのようだった。
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