祖母が亡くなったので葬式に行ってきた。
一番若いしかも男なので、あれをしろこれをしろと
見たこともないような親戚のじじばばにあごでこき使われ
非常にストレスフルだった。
しかも幽霊がかぶるような三角のアレをつけて寺の境内を3週するという
わけのわからん風習をやらされてビックリした。
納骨のときはなぜか白いダンゴを食わなければならず、
カラスがずっと俺たちがお供え物を置いて帰るのを
寒い中待っていたのが印象的だった。でも、じじばばがカラスを蛇蝎のごとく嫌っており
ダンゴを置いてこられなくてカワイソだった。
祖母は俺が小さいころしばらく一緒に暮らしていたのだけど、
最近ではぼけてしまって、俺を見ては「あら、あんた○○(←一緒に暮らしてたときの地名)の子か、でもずいぶんおがってる(大きい、成長している)なあ・・・」
といい、どうもその記憶のミニアウト=今の俺というのがわからないままだった。ふしぎ!
大往生だなあと言う感じで、ナミダも出なかった。
俺の大好きな祖父が死んだときは、
出棺するときに自分でも驚くほどぼろぼろと勝手にナミダが出てきたのを覚えているのだが
そういう感慨もなかった。
今回は遺体を運ぶのが難しいくらい遠い施設にいたこともあって、火葬が終わってから会ったせいなのか、
もうぼけてしまってからは「もう俺の知っているばあちゃんは遠くに行ってしまったのだなあ」という思いが
強かったからなのか。年を取ると悲しくなくなってしまうのか、
死ぬっていうのはこういうことだと割り切ってしまうのか。
忌引きは三日しかもらえない上に、通夜が土曜日だったので今日しか休んでいない。
行ったり来たりでおばもすごく一緒にいると疲れる人なので心底クタビレてしまっていて、
明日も正直安みたい。
通夜・葬儀とホテルに泊まったのだが、新約聖書の「マタイによる福音書」の部分を
あまりにひまだったので二日かけて読んだ。
イエスが腹を減らしたときに実がついていなかったいちじくに
腹を立てて呪いをかけて枯らした上に自己正当化したり、
主人からオカネを預けられて勝手に運用したやつらは褒められて、
誰にも見つからないように土に埋めて守っていたやつが罰せらるんです!とよくわからない正直者を馬鹿にするような話も出てくる。
イエスさんはさらにそこら中の人を治してまわったかと思うと、「治してください」と寄ってきた人に対してイライラして当り散らしたりもする。
そしてあっさりとペトロに裏切られるイエス。
どうにもキリスト教は俺には理解できないな!と思った。
PR