しかも太陽はさんさんと降り注ぎ、木の葉がまるで映画の早送りみたいに見る間に茂って、僕は夏の到来と僕の人生がもう一度始まったのを感じた。
読むべきものはたくさんあり、若いエネルギーは出口を求めて口をパクパクさせていたし、体力も有り余っていた。僕は1ダースもの銀行業、信用取引、そして投資信託の本を買い込んだ。その本たちは僕の本棚の中で、まるで造幣局から出てきたばかりの新貨幣のように赤と金に輝き、ミダス王とモルガン、マイケナスだけが知る金を生み出す秘密を僕に語らんとしていた。そして僕は他にも何冊かの本に非常に強い興味を持った。大学では文学を専攻していたのでー1年のあいだ、僕はとてもまじめでわかりやすい一連の社説を"イェール・ニューズ"に投稿していた―それを僕の人生にもう一度呼び戻そうとし、そしていわゆる「知識人」という、あらゆる専門家の中でもっとも限られた人種になろうとしていた。これは皮肉でもなんでもない。人生というものはひとつの窓から覗き込む分にはそれなりに見えるという、ただそれだけのことだ。
北アメリカの最高にいかれたコミュニティに家を借りるのが僕の宿命だったのだろう。その家があったのは細長く騒々しい、ニューヨークの東に位置する島で、面白いことに二つの島がおかしな具合に連なっていた。町の中心から20マイル離れたところで、まったく同じ形をした大きな卵形の二つの島を、プライベートビーチだけが結んでいたのだ。ロングアイランドとコネチカット州から水平線へとつながる大西洋がやわらかく島の突端を包んでいた。島はきれいな楕円形というわけではなくて、「コロンブスの卵」のように、二つともお尻にあたる部分が平たく割られていた。しかし、その形の類似性のために頭を抱えるのは空を飛ぶカモメくらいだろう。翼なき者にとっては、形や大きさ以上に目を引かれる違いが二つの島の随所に散らばっていた。
僕は西の卵の島に住んでいた。それはーぱっとしないほうの島だった。「ぱっとしない」というのがこの二つの島の奇妙な、何かしら不穏な違いを一番わかりやすく表現している。僕の家は卵のさきっぽにあり、コネチカットの湾から50ヤードしか離れていなく、1シーズン過ごすのに15万ドルから20万ドルはかかる2件の豪邸の真ん中に挟みこまれていた。右の屋敷は破格に巨大で、ノルマンディのホテル・デ・ヴィラを模してあり、片側には勢いよく茂ったツタに厚く覆われた真新しい塔を備え、大理石のプールと40エーカーを超える手入れの行き届いた芝生と庭園があった。それがギャツビーの家だった。というよりも、僕はそのときギャツビーのことを知らなかったので、「そういう名前の紳士が所有する建物」だった。僕自身の家は見苦しい掘っ立て小屋だったが、見苦しいなりにあまりに小さくて目に付かないのか、誰も気にしないようだった。だから僕は思う存分海を見、ご近所の芝生を眺め、億万長者って大変だなと思った。僕は月80ドルで同じ眺めを見ているのだ。
PR